Ch13 この土地に申し訳ない

観光客がまた訪れたいと思うのは、設備などのハード面の部分によるのでなく、むしろソフト面という中身の部分なのだ。

その一つはきれいで清潔かどうか等の些細な部分だ。
2004年、政府が積極的に推し進めた「台湾観光年」の一連の活動だが、至るところで観光普及のための宣伝を目にした。私もよく休日を利用して、友人と共に大自然を愛でに、また昔ながらの旧通りを見に足を運んだ。

しかし非常に残念なことに、歩けば歩くほどため息も多くなるのだ。
「この土地に対して誠に申し訳ない」
我々には自然というハードウェアがあるにもかかわらず、細やかな丁寧さといったソフトウェアの部分が欠けている。


見渡すと、青々と茂った山の秀麗な景色のあちこちに、人手による痕跡が残っている。様々な経費を投入したいわゆる「旧通り」は、どこもハード面に関しては単なるうわっつらの設備、形だけで、管理はなってないし、本当にただ観光客を「一度きりの観光」へと引き寄せるしかなく、一度見ればもうがっかりであり、二度三度とリピーターとしてまた訪れたいという気持ちには到底ならない。

外壁や町並みは確かに昔ながらの旧通りに復元されてはいるが、至る所に雨よけとなってしまっている大きな黄色のキャンバスだったり、冷たい印象を受けるステンレス、原色の真っ赤や真緑の大きなプラスチックのふたのないゴミ箱、そしてその上を群れを成してブンブンと舞っているハエたちが目に付く。

個人の自家用車に至っては、半分ほどが歩道隣の敷地内に、もう半分は歩道の石畳の上である。物売りの屋台も通りの邪魔となることに一役買っており、歩行者は仕方なく一つ一つ車や屋台といった障害物をよけなければならず、そうして初めていわゆる「旧通り」を通り抜けられるのだ。

表向き「旧通り」と名乗っている現地の居住民は、自分では全く自分の住む地域社会を大事にしておらず、一体そんなんでどうして長期にわたり外からの観光客を引き付けられるというのだろう。台湾の「観光」年は、まさに「光」に照らされ、欠点ばかりを「観」抜かれてしまい、我々のレベルの低さというものを露にした。こんなレベルでどうやって観光業をやっていくというのだろう。


日本の京都などの観光地は、公衆トイレも全く周囲に溶け込んだデザインで、一見外からではトイレとは見分けがつかないくらいだ。トイレの中はというと、もちろん新旧一様ではないけれど、きれいで清潔なことは間違いない。清掃員の名前、清掃時刻、清掃回数、すべてが明確である。

一つのゴミ箱をとってみても、丁寧に竹を使って編まれた竹かごで囲われている。竹だって? 数年後には使い物にならないのではないか? そう、まさにその通りで、2年も経たないうちにだめになってしまうが、日本人はまた新しいのを作って交換し、観光地に備わっているべき雰囲気というのを一生懸命に維持しているのである。

我々は「ディズニーランド」が人を魅了するのは、楽しい施設とアトラクションがあるからと思い込みがちである。しかし実際はそうではなくて、観光客がまた訪れたいと本当に思うのは、施設や設備などのハード面の部分によるのでなく、むしろソフト面という中身の部分なのだ。その一つはきれいで清潔かどうか等の些細な部分だ。

その日に何人の観光客が訪れていようとも、ディズニーランドの清掃員たちは常に地面にゴミが無いだろうかと探しており、園内を一つもゴミが落ちていない区域として保たなければならないのである。このようなきれいな場所は園外ではお目にかかれないものであり、そしてそれこそまさに観光客を引き寄せ、安心して何度も行きたいと思わせる要因なのである。

お金儲けはしたいけれど、面倒なことはしたくない。この世の中にそんな楽なことはないのだ!歴史もそれを同様に物語っている。

初期のドイツでは、労働力不足という問題に直面した時、歩きやすい楽な道を選んでしまった。トルコなどの東ヨーロッパの外国人労働者を採用したのだ。しかし文化の違いから、二代目外国人労働者たちが引き起こした文化融合問題は、現在に至るまでドイツ社会の未解決問題となっている。

日本でも同時期、人手不足に悩まされていた。しかし日本は楽な道をとることはせず、つらくて、歩きにくい道を選んだのだ。

オートメーションに励み、ロボット、マジックハンドを開発。

彼らは外国人労働者を雇う代価が日本社会の負担できる範囲を超えているということを知っていたのだ。神様も公平であり、でこぼこで歩きにくい道を歩くことは、結果的に人より強い体力を身につけることになった。

何年か経った後、結局日本の製造業はドイツを次第に抜き去りつつあり、製造業王国となり、長期にわたり高い位置から全世界を見下ろしてきた。日本社会は依然として秩序立って整然としており、払った代価も最小限で済んだのだ。


しかしこのようにできたのは、何も日本人が生まれつき賢いからということでは決してない。高度経済成長期の日本人も、かつては楽な道を歩んだこともあるのだ。それは今に至るまで依然として後悔してもしきれないこととなっている。

道路不足と交通渋滞の問題を解決するため、日本人は主要な都市の至る所に建設費が安く済む高架道路を建設した。それ以来見た目が良いとは決していえない無様なコンクリートの道路は、都市ジャングルの中の「ゴジラ」のように、もともと美しかった都市を勝手気ままに痛めつけたのだった。

最初はたかだか一つの道路に過ぎないと思っていたのだが、ひっきりなしに続く騒音のため、道路の両脇に防音壁を増設するしかなかった。もちろん効果の程は知れており、結果的に増設工事は未だに続いており、修繕費などもかさんでいる。

高架道路のある場所は、その時以来日本人の永遠のとげとなっている。もちろん、日本人はその後反省し後悔した。現在東京に観光に行くと、東京は見たところ、もう道路の建設は進めていないと思うかもしれない。

しかし実際はそうではなく、日本人は利口になったのだ。現在は東京の地底深くに、日夜黙々と、地上交通も妨げずまた景観も損ねない、地下鉄を建設しているのであり、まさに「つらく歩きにくい」道を歩んでいるのだ。


風光明媚で知られるバンクーバー西海岸地区だが、長年にわたり激しい交通渋滞の問題に直面してきた。普段は一分もあれば渡れるライオンズゲートブリッジも、毎朝、毎晩ラッシュアワーの時間になると10分、20分、時にはそれ以上渋滞するのだ。

このようなひどい渋滞状況に面して、もし他の国ならば、とっくに道路を増設したりまたは橋を広げるなどして、交通の便宜を図ってきたことだろう。しかしバンクーバーの住民たちはあえて困難な道を選んだ。橋を広げるくらいならいっそのこと渋滞に甘んじようというわけだ。

なぜなら景観が一度損なわれると、永遠に元通りにはいかないということを彼らはわきまえていたからだ。

居住地に最適として、全世界からの評価も一、二を争う指折りの場所であるから、当然住民たちも、交通問題というのは基本的に道路の幅に起因しているのではなく、むしろ人類の利己主義によるということを理解しているのだ。

道路の幅が広くゆったりしていれば、自動車メーカーはそれだけ大型で豪華な自動車を製造し、人類の傲慢さを満足させることだろう。そして当然のことだが、どれだけ広い道路でも、人類の貪欲さを満足させることはできないのだ。