Ch5 日本流の「説教法」

もし大人がこのように「口すっぱく」、その場で諭しを繰り返し何度も与え、子どもたちの理解を得ようとする方法を続けていくならば、将来必ずや、子どもたちの心に、久しい記憶として残っていくでしょう。

台北に自宅がある、邱という姓の男が、長期にわたり酒を飲んでは暴れるということを繰り返し、妻は夫の虐待に耐えきれずついに離婚をしたが、4歳の娘の親権をあきらめ、かつてやくざ者、ゆすり、金の巻き上げ、麻薬など前科十犯ほどあるこのならず者の監督下に、この娘は置かれることとなった。誰の目から見ても、明らかに扶養者として全く適任ではない父親に育てられることとなった。

2005年1月10日の深夜、この邱氏は娘を連れて外出し、仲間らと一緒に酒を飲み始めた。その後もコンビニエンスストアで酒を買っては飲むということが続いた。娘は寒さと空腹そして眠気からとうとう泣き始めた。しかしなんとこの父親は激怒して、子どもの頭をわしづかみにし、娘の意識がなくなるまで壁に頭をぶつけ続けたのだ。更に足で蹴り飛ばすなどの暴行を加え、最終的には通りがかりの人が警察に通報し、この娘は仁愛病院に送られることとなった。

深夜ということもあってか、常駐医師の林医師は寮で休息を取っており、脳CTスキャンの放射線断層画像やレントゲンも見ずに、ベッド数の不足という理由で、別の病院へ搬送されることとなった。EOCにより20ほどの病院がリストとして挙げられたが、すべてベッドがなく、深夜1時55分から明け方の5時20分まで、およそ5時間ほどたらい回しにされた挙句、ようやく台中県の梧棲病院へと搬送された。この事件は「医療従事者によるたらい回し事件」として世間を騒がせた。

1月11日午前10時、主治医の李明鍾が一回目の脳切開手術を行なったが、昏迷指数が5から3へと下がり、瞳孔が開いた。しかし、翌日の1月12日、突如肺水腫に見舞われ、すぐに2回目の手術が行なわれた。頭蓋骨の破片が取り除かれ、脳圧が下がった。2週にわたる必死の救命作業も及ばず、この娘は脳死のため亡くなり、ゆっくりと,この世界をはっきり知る前に別れを告げた。


娘が亡くなり、出頭後も、この冷酷無慈悲な男は、
「俺はいつもこうやってしつけてきたんだ!」
と堅持し続けた。
無論、4歳の子供に対するこのような懲らしめ方というのは、度を越しているし、かつ法に触れる犯罪である。しかし子どもに対しての「軽くひっぱたく」程度のしつけに関しては、多くの人が賛成するかもしれないし、何でもないことのように思う人も多いかもしれない。

「私たちもこういうしつけをされて大きくなってきたんだ」と。
日本への留学前、私もこのような大部分の人の考えと同じであった。私の一家4人兄弟が成長する過程では、ほとんど全くと言っていいほどぶたれるということはなかったが、両親がほうきをもって子どもたちを叩こうとする場面は何度かあった。

子どもが成長する過程で、親の言うことを聞かず、結果としてげんこつを食らうとか、手のひらを出して叩かれるなどのしつけは日常茶飯事であるため、私も含めた台湾の人にとっては受け入れることのできる懲らしめ方かもしれない。ただそれもあの日までのことだった。

その日は家内が急な用事で、保育園に預けていた3歳の息子を迎えにいくことができなかった。当時私はスイス系のスイス・ユニオン銀行(東京)で勤務しており、わざわざ数時間の休みをいただいて、あわただしく保育園に迎えに行ったのだった。

大概日本の保育園の施設内にはフローリングが敷かれている。日本の生活マナーに従い、脱いだ革靴のつま先を外へと向け、左右並べて、きちんと靴箱の中に揃えて置いた。

門をくぐって中に入ると、まだ自己紹介もしないうちに当直の保育園の保母さんが親しみ深くやって来て、こう言ったのだ。

「呉さんですか!子どもさん、そっくりですね!」
心の中に何とも言えぬ虚栄心が湧き起こるのが分かった。そしてまさに子どもを連れて出ようかという時に、その保母さんは丁寧にまた近づいてきてこう言ったのだ。

「呉さん、今数分時間とれますか?」
私は一瞬いぶかしく思った。いつもは家内が子どもの大なり小なり色々な事を世話しているのに、どうして私に関連することがあるというのだろうか。しかし次の瞬間にはうなずいてしまっていた。

保母さんは私がうなずいたのを見て、そこに腰を落とし、座った。といっても日本式の座り方で、床の上に正座をしたのだ。そうである以上、もちろん私も正座しないわけにはいかなかった。


「呉さん、家で子どもを叩く習慣がありますか。」
聞いた瞬間、私はますますおかしいと思い始めた。なぜそんな事を私に聞くのだ?

「子どもが言うこと聞かない時は、それなりに『懲らしめる』だけですよ。
私が幼いときにも、そうやって『しつけ』られて、大きくなりましたから!まして私は自分のことを『文明人』と自負していますから、『しつける』ということはそれほど多くないですよ。」

口には出さなかっただけで、頭の中では自然とこれらのロジックが素早く行き巡った。しかしこの保母さんはどうして分かったのだ?

家内もこのようなしつけ方に異議があるはずがないので、保育園にこんな些細なことで相談を持ちかけるということはありえない。一つに、私が「本当に」子どもを叩いたことがないと思っていたため、二つ目に、子どもをしつける上でたまに叩くくらい何も間違っていないと思っていたため、正々堂々とこう答えたのだ。

「もし子どもが言うことを聞かなければ、たまに「懲らしめる」くらいですね。」
そして保母さんが返答する前に、私は急いで付け加えた。
「私も小さい頃、言うことを聞かなければ大人たちからそのように『しつけ』られましたから。」
まず、自分の「しつけ方」に大義名分を加えることでしっかりとガードを固め、そして攻撃へと転じるのだ。
「しかし、どうして分かったのですか?」


その保母さんは私の返答を聞き終わった後、顔にすべてを悟ったような微笑みを浮かべてこう言った。

「お宅のおぼっちゃんには、『武力で紛争を解決する』傾向があります。わりあいに『武力で』他の子どもたちに『訴える』ことがあります。」

このせりふは決して大袈裟に書いているのではない。この保育園の保母さんは本当に『武力で紛争を解決する』、『武力に訴える』という言葉を使ったのだ。私は思わず笑ってしまい、
「たかだか3歳の子供のどこに『武力で紛争を解決する』なんてことがあるんですか。『武力に訴える』ですって?」
この25~26歳に過ぎない若い保育士は、続けてこう言った。

「お宅のおぼっちゃんは正義感が人と比べて強いです。体つきも同年齢の子どもの中で大きい方です。ある『園児』が他の『園児』をいじめているのを見たりすると、正義をかざすのはいいのですが、いつも「たたく」という方法で解決しようとするんです。一般的にこういった行動は、大人を真似ていることがほとんどなんです。」

私は返す言葉がなかった。保母さんは続けてこう言った。

「子どもが言うことを聞かなかったり、または子どもがなかなか納得しない時に、大人が子どもをぶったり、またはそういうポーズを見せたりすることがありますよね。実は子どもはそれらを全部見て学んでいるんです。ですから子どもたちの中でけんかや言い争いが起こったりすると、子どもは同様の方法で解決しようとするんです。」


ここまで聞いて私はやっと理解した。『武力で紛争を解決』したり、『武力に訴える』のはすべて大人であって、子どもは単なる「模倣者」に過ぎないのだということに。

大人が子どもをぶとうとして見せたり、または軽くたたいたりするような行為は、日本の保育士にとっては、すでに「武力」行為であるのだ。

ここまで聞いて、私はにわかに立ち上がるのが申し訳ないと思うようになった。しかし心の中ではやはり釈然としない気持ちがまだ残っているのだった。

「では、子どもがいくらいっても言うことを聞かない場合、どうすればいいのです?」
この若い保母さんは突然、正座から膝をつく姿勢に変え、両手を子どもの両肩に軽く乗せ、こう言った。

「そういう時、私たち大人には子ども以上の辛抱が必要です。腰を落とし、子どもと同じ目線で、顔を見ながら、忍耐強く『なぜそうしてはいけないのか』、そして『どうしたらいいのか』を教える必要があります。」

その保母さんは、私たちが大人である以上、子どもに一層辛抱強く伝える義務があるとして、以下の台詞を述べた。
「そうすると、他の人が不愉快になるよ。」
「そうすると、他の人が悲しむよ。」
「そうすると、他の人が迷惑だよ。」
「そうすると、他の人が嫌がるよ。」
「そうすると、他の人がうんざりしちゃうよ。」
「そうすると、友達がいなくなっちゃうよ。」
「そうすると、・・・・・・・・・。」


この若い保育士は、私をまるで間違いを犯した子どものように、この単純な事を、二度も三度も、本当に辛抱強く、再三再四何度も繰り返しながら、私にやって見せるのだった。私も思わず、まるでとりつかれたかのようにその都度うなずいて見せた。

しかし、私ははっきり言って少々「面倒だ」と思っていた。一度言えば済むことを、どうしてこうもくどくどと繰り返し、その都度私にうなずかせ、聞いてますよということを確認させるのか。この若い保育士は今一度このように言った。
「大人が子どもを「ぶったり」、「武力」で解決すると、確かにその時はすぐに効果があるかもしれません。しかし、子どもが大きくなって、おとなしく叩かれなくなった時、私たちのこの懲らしめ方は効き目がなくなります。しかし、もし大人がこのように「口すっぱく」、その場で諭しを繰り返し何度も与え、子どもたちの理解を得ようと努力し続けるなら、将来必ずや、子どもたちの心に刻まれ、久しい記憶として残っていくでしょう。」

この若い先生は続けてこう指摘した。
「このように『口やかましく』叱ることにより、子どもの成長過程で、子どもが後々間違いを犯して、またさらに山のように怒られるというのを避けられるわけです。保護者として、将来電話をちょっと一本入れて、一言二言そっと伝えるだけで、その年に何度も繰り返した数えきれないほどの諭しの効果をもたらすことができるのです。」

その日から私は子どもを叩いたことがない。「根気強く」接する日本流の「説教法」に改めたのだった。(三歳以後、「武力に訴える」教育を受けていない息子は、大人になった今、もちろんEQは高く、物事を円満に根気よく、話し合いで解決する習慣が身に付いている。)